先日の皆様からのお問い合わせの中でドッグトピアの看板犬たちの話も詳しく知りたいというご要望が多かったことから今回のブログより何回かに分けて書かせていただきたいと思います。
第一回目はグレートピレニーズの男の子、リーニョです!
体重は65Kgもあり、ピレニーズの中でも大きい子でした。
幼少期をブラジルで過ごした私はいつか自分の家を建てたときに超大型犬を飼うことが夢でした。
ブラジルでは、知人の自宅に招かれると大体の家にはドーベルマンやシェパード、ボクサーなどの大型犬が4,5頭飼われていました。そして、帰宅する際には、この大型犬たちを放して庭中をパトロールさせて不審者がいないかを確認してから私たち人間が家を出て車に乗って帰宅していました。それだけブラジルは治安が悪かったということですが、私はそういった家に行くとほとんどの時間をこれらのワンちゃんと何時間も楽しく過ごしていました。
そんな幼少期を過ごした私がついにマイホームを建て、超大型犬を飼うことを決めます。
私が決めていたのがこちら、ナポリタンマスチフです!
家内と一緒にブリーダーのところに行き、実際にナポリタンマスチフと対面した時、家内は「ちょっと、、、」
その後、ドッグショーに行き、超大型犬のブースで家内が指さしたのが白くて、大きく、毛をフワフワ歩いていたグレートピレニーズでした。
早速、ブリーダーさんを探し、千葉のグレートピレニーズ専門のブリーダーさんを定期的に訪ねて、1年ほど待って生まれたのがリーニョでした。
生後1か月のころの写真です。
初めて我が家に来たとき、既に体重は8kgありました。
大きいですよね!
リーニョの名前の由来について、
ブラジルでは〇〇の息子とか〇〇の小さいもので〇〇ニョといいます。
〇〇ジュニアのようなイメージでしょうか。
サッカー選手で例えると、ロナウド➡ロナウジーニョとか、パウロ➡パウリーニョ等です。
そして、私の名前タジリのリだけをとって、リーニョというわけです。
こちらは生後半年~1歳のころ、
初めてのドッグショー、
少し年上のクーちゃんの家で思いっきり泥んこになって遊んだとき
初めて海を体験したとき。。。
リーニョが2歳になったころ、サラリーマンをやっていた私に海外赴任の話がありました。
多くのゼネコンが海外市場に進出、大型物件をどんどん受注していた時代です。
30代後半だった私は、今まで以上のキャリアと経験を考えて海外異動を決断します。
しかし、異動先がドバイ(イスラム教)、ベトナム(食文化)であったことから、悩んだ末にリーニョは日本に残ります。約2年間をブリーダーさんのところでお世話になりました。
その間、幼馴染だった大型犬のお友達が月一回ペースでリーニョ会を開催してくれました。
私も年に数回一時帰国、ブリーダーさんのところでリーニョとみっちり過ごしました。
この時期、リーニョにとっては寂しい思いをさせてしまったことは今でも心残りです。
そして、私の赴任先がタイになったとき、リーニョはついに海を渡ります。
いざ、タイに出発!
タイではバンコクに住んでいたのですが、タイはワンちゃんが公園に入れなかったり、野良犬が多かったりと制限が多かったです。
ここはバンコク都心から車で30分ほどの公園、ワンちゃんが入れます。
たくさんのワンちゃんに会いました。
バンコクのお友達!
タイ国内でもプチ異動がありました。
ナコンラチャシマ県というバンコクから300kmほど離れた工業団地の工場建設です。
私はバンコクとナコンラチャシマ両方にリーニョと生活できる大きさの家を借りてもらいました。
平日はナコンラチャシマ、週末はバンコクという生活が10カ月ほど続きました。
リーニョももちろん一緒に移動です。
ナコンラチャシマのプロジェクトが終わった後はしばらくバンコクです。
約6年を過ごしました。
色んな制約もあり、様々な意見や考えもあると思いますが、一度離れ離れを経験しているからこそ、一緒に過ごすことが私たち家族とリーニョにとっては幸せでした。
日本には2017年に帰国、リーニョとの日本での生活が再スタートです。
2018年10月ドッグトピア横浜青葉がオープン、
リーニョは看板犬として、毎日穏やかにお店の顔として過ごす日を夢見ていましたが、2018年2月私と家内の手の中で永眠しました。
そして、今は天国から私たちとドッグトピアのワンちゃんたちの楽しい姿を見守ってくれています。
お店正面の写真、パンフレット、ドッグトピアのマーク、あらゆる場所にリーニョは生き続けています。